今日はいつも愛用しているオーディブル。本を聴いて楽しむAmazonのサービスです。
いまとってもハマっているアドラーの『嫌われる勇気』、毎日愛聴しています。今日はアドラーの嫌わる勇気で、わたしが特に印象に残ったポイントをまとめました。
また、オーディブルの感想や便利な使い方もご紹介します!
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目次
アドラーの嫌われる勇気とは?
心理学界の3大巨匠、フロイト、ユング、そしてアルフレッド・アドラー。日本国内では無名に近い存在のアドラーですが、その内容は素晴らしいです。
人生を根底から覆すほどの新しい感覚を植え付けてくれるでしょう。
人生に悩みはありますか?
それはなにが原因ですか?
仕事ですか?自分の能力ですか?劣等感ですか?病ですか?
その根源は対人関係です。対人関係こそ、悩みの原点になります。
人生におけるあらゆる悩みを解決し、進むべき道を記してくれるアドラー心理学。
それをわかりやすく伝えるために、哲学者と青年が対話篇形式でアドラー心理学の神髄に迫っていきます。
著者は日本におけるアドラー心理学の第一人者、岸見一郎氏とライターの古賀史健氏。
いままでの人生の悩みを根底から覆す衝撃的な内容の連続です。
人生や対人関係、将来に悩みを抱える人は、一度はこの本に触れてみてください。
自分のこれまでの考え方や固定概念がいかに非生産的で非効率な思考であったかが知れると思います。
アドラーの嫌われる勇気:「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない
あなたは誰のために生きていますか?
アドラー心理学では、誰かのために生きることを明確に否定します。
あなたは誰かのために生きているのではありません。
自分のために生きているのです。
自分が自分のために生きなければ、自分というかけがえのない存在と命、誰が燃やし尽くしてくれるのでしょう?
自分の人生を自分のために生きる、この当たり前の理屈をわたしはできていませんでした。
誰かがわたしのことを評価している。誰かがわたしのこと悪く言うかもしれない。誰かと比較すると自分は劣っているかもしれない。
そんな臆病な自分、たしかにそれもまた事実でしょう。
ですが、その誰かはその人の人生のほとんどの関心をわたしに振り向けているのでしょうか?
その人の人生をわたしが決めているのでしょうか?
わたしの人生は他人が決めているのでしょうか?
答えはノーです。
誰かのことを気にして、誰かの意見におびえ、誰かのために自分を曲げることは、自分のために生きることからの逃避になります。
誰かのために自分は生きていない。
自分は自分のために生きている。
アドラーが教えてくれることは、シンプルながらもっとも大事な人生の根幹部分なのです。
アドラーの嫌われる勇気:承認欲求を捨てろ
誰かがわたしを褒めてくれる。
誰かがわたしを認めてくれる。
誰かがわたしを評価してくれる。
わたしのこれまでの人生は、これらの承認欲求で満たされたものでした。
承認されると嬉しい。
でも、反面、承認されないとつらく悲しい。
だから、なおさら承認されようとする。
でも、他人の承認は思い通りに得られるものではなく、むしろないものねだりに近いジレンマを生む。
誰かの承認がないと生きていけないのか?
アドラーの疑問は人生の悩みを切り離すうえで、とても重要な切り口だった。
自分で自分を承認できないのか?自分を認めてあげられるのは自分だったと気づければ、他人の承認を無いものねだりすることは無い。
自分は他人に感謝をして生きれば良い。
誰かの承認も無く、自分で自分を承認できれば良い。
なんだか楽に生きられそうな気がしてきた。
アドラーの嫌われる勇気:他者と自分の課題を分離せよ
わたしが仕事でつらいことがあったとする。
そのことで気分がどうなるかは、わたしの課題であって家族の課題ではない。
だから、家族に仕事のことで当たるのは、極めてお門違いだ。仕事で何があろうが、それをどう捉えるかはわたしの課題であって、家族の課題ではない。
仕事でどんなに嫌なことがあっても、それは自分がどう捉えるかの問題であって、家族には到底どうすることもできない。
わたしの仕事っぷりに感謝するかどうかも、家族の課題であって、わたしにどうこうできることではない。
こうした課題の分離ができていれば、家族とギクシャクすることは無い。
そんなに気分の悪い仕事ならば、それを続けるのか辞めるのかはわたしの課題であって、家族が決められることではない。
仕事でどんなに嫌なことがあっても、家庭に持ち込んではいけない。
仕事のことで家庭がギクシャクするならば、それは家族に問題があるのではなく、その課題を家庭に持ち込んだわたしに問題があるのだ。
多くの問題は、課題の分離ができていないことにより、すなわち自分がきっかけを作っているに過ぎない。
アドラーの嫌われる勇気:その行動に原因はない、目的があるのみだ
子どもがまた学校の宿題を忘れたとする。
それもいつものことだったとする。
毎度毎度のことで、もう堪忍袋の緒が切れた。
こんな過ちを繰り返さないためにも、今日は厳しく叱ったとする。
さて、なぜ厳しく叱ったのだろう。なぜ?
子どもが宿題を忘れたから?そうではない。
何度言っても言うことを聞かない子どもを、親の面目を保つ目的でマウントして圧倒するためだ。
そこには子どもが宿題を忘れないために取られる対策がまったくない。
子どもにしてみれば、ただ単に親が理不尽に怒ったようにしか見えない。
そりゃそうだ、宿題を忘れたことが原因で起こったのではなく、親のメンツを保つために子どもという圧倒的弱者を罵倒する目的があったからだ。
もし、同じことをよその子がしたら、そこまで怒るのだろうか?
つまり、宿題を忘れたという原因で怒っているのではない。
自分の子どもだから強く言おうという目的があったからだ。
この違いがわかると、自分の行動も他人の行動も冷静に見つめなおすことができる。
アドラーの嫌われる勇気:大切なのは他者貢献、そして共同体感覚
では、自分は自分のためだけに勝手に生きれば良いのだろうか?
他者の承認は得ることもなく、自分の子どもも放っておけば良いのだろうか?
課題を分離して、自分は自分、他人は他人と冷たく切り捨てれば良いのだろうか?
社会から分離し、一人で誰とも交わらずに生きなければいけないのだろうか?
アドラー心理学は、そのような浅い論理ではないようだ。
誰一人、社会から分離できないし、生きている以上、誰とも交わらないことなどできない。それでは幸福にはなれない。
自分以外の他人が存在している時点で、社会が成立しているし、誰もひとりで生きられない。
水を飲むことも、電気を使うことも、食事をすることも。まったく社会と関わらずに生きることは絶対にできない。
つまり、われわれは社会とともにある。
その社会に属しているという感覚があるはずだ。
他人が1人でも大勢でも、そこには同じ社会に生きるという共同体感覚が必要だ。
この共同体感覚こそが、社会で生きていくために必要な存在価値となり、生きていく勇気にもなりうるとわたしは思う。
その共同体感覚をもとに、われわれが成し遂げるべきは他者貢献だ。
他者に何か貢献することで、わたしたちは価値を生み、自分の存在を確かめることができる。幸せを実感できる。幸せはアドラーがもっとも重視している感覚のひとつだ。
自分の幸せは、他者の承認を得るためではない。他者が承認を与えるかどうかは他者の課題だからだ。
自分として他者に貢献できるかどうか、そして他者の存在に感謝し、共同体感覚を持ち、自分の人生を有意義に過ごせるかどうかは、自分の課題だ。幸せになれるかどうかは、自分の課題であり自分が決められることだ。
他者に貢献しても、他者が感謝するかどうは自分ではコントロールできない。
他者貢献とは、他者の感謝の見返りを求めてはいけない。他者が自分に感謝するかどうかは他者の課題である。
自分としては他者に貢献し、他者から感謝されるように、自分でできることをやる尽くすのみである。だから、幸せは自分で作れる。
アドラーの嫌われる勇気:トラウマは存在しない。いつでも未来は切り拓ける。
この世にトラウマは存在しない。
過去が未来を縛るのなら、人類は過去に縛られたまま発展できなかったはずだ。
過去にどんな忌み嫌う出来事があったとしても、それは未来を決めることはできない。
未来はただちに今から変えることができる。
未来を変えられないのはトラウマではなく、未来を変えたくないという目的をもった自分がトラウマを都合よく使っているからだ。
わたしは小さい頃に挨拶した大人の顔が怖かったため、人見知りの傾向が強い。トラウマといえばトラウマかもしれない。
自分が人見知りなのは、過去にトラウマがあるからだ。ということで合点が行く。
だが、アドラーは明確にトラウマを否定する。
自分が人見知りなのはトラウマが原因ではない。
自分に対する他人の冷たい反応を見たくないために、積極的な人との交わりを避けようとする目的がある、
つまり、過去は関係なく、この理論がしっかりと理解できれば、いますぐにでも人見知りは直せる。
他人の反応を怖いと思わなければ良いだけであって、トラウマのために絶対に変えられない性格ではないのだ。
もしトラウマが未来を決めるなら、誰とも和解できないということになる。
もし過去が未来を決めるなら、運動会でいつも負けていたリレーでは、絶対に逆転することはできないということになる。
未来を変えられないのはトラウマではなく、変えることをあきらめたり、変えることに絶望した自分が原因である。
トラウマには未来をコントロールする力はない。
未来を切り拓けるどうは、常に100%の割合で自分の手腕にある。
オーディブルでアドラーの嫌われる勇気にハマった!【感想や使い方】
アドラーの嫌われる勇気を何度も聴いています。
通勤時、自宅での家事や作業をやりながら、買い物や運動をしながら。
分厚い本をめくるのであれば、こんなにアドラー心理学にハマることは無かったでしょう。
目は疲れるし、本を読む時間は取りにくいし、すぐ眠くなるしw
オーディブルだからこそ、隙間時間を有効に使えるし、何度でも繰り返し聴くことができる。
再生スピードも変えられる。最初は等倍で聴いてじっくり理解する。7時間もかかる。
次は復習の意味で1.5倍で再生する。
アドラー心理学がめくるめく速さで自分のアタマの中で展開される。
でも、まだ自分に定着されるものではない。アドラーの嫌われる勇気は奥が深い。聴くたびに新たな気付きを与えてくれる。
さらに深くアドラーの世界に入る。2倍速で聴いてみる。それでも全部聴くには3時間半もかかる。
こんなに内容が濃い本を何度も読むことなんて、自分にはできない。疲れてしまうからだ。
でも、オーディブルなら繰り返し聴くことができる。倍速で聴けば時短になり、インプット回数も増やせる。
現代のスマホとアプリのなせる業だ。
この利便性を享受しない手はない。
ぜひアドラーの嫌われる勇気をオーディブルで。